秦国歴史年表
紀元前771年 | 襄公が秦公を名乗る | ||||
紀元前659年 | 穆公が即位し、勢力を伸ばす | ||||
紀元前403年 | 戦国時代始まる | ||||
紀元前262年 | 呂不韋、子楚と接触 | ||||
長平の戦い始まる | |||||
紀元前259年 | 子楚の子、政生まれる | ||||
紀元前257年 | 子楚、呂不韋の計らいで邯鄲を | ||||
脱出し秦へ帰国 | |||||
紀元前256年 | 摎、韓を討ち、陽城・負黍を取る | ||||
紀元前255年 | 秦の昭王、范雎を罷免 | ||||
蔡沢が宰相に任じられる | |||||
紀元前254年 | 摎、魏を討ち、呉城を取る | ||||
韓、魏、秦に服従 | |||||
紀元前253年 | 摎、龐煖に討たれる | ||||
紀元前250年 | 昭王死去 | ||||
嬴政、邯鄲を脱出 | |||||
紀元前249年 | 孝文王(安国君)即位 | ||||
子楚、太子となる | |||||
孝文王、即位三日後に死去 | |||||
荘襄王(子楚)即位 | |||||
呂不韋、丞相となる | |||||
紀元前246年 | 荘襄王死去 | ||||
嬴政、13歳で即位 | |||||
呂不韋、政に代わって執権 | |||||
紀元前245年 | 昌文君、戦争孤児の少年召抱える | ||||
秦王の実弟・成蟜の反乱起こる | |||||
秦、魏に侵攻開始 | |||||
蛇甘平原の戦い始まる | |||||
嬴政暗殺事件起こる |
秦の躍進
◇西方の覇者
紀元前771年頃、古代王朝の周を救うために戦った襄公が、功績を認められ西の地を賜り、諸侯に封じられたことが秦国の起源とされています。その後も大陸西部の遊牧民や周囲の小国を平定し、領土拡大していきました。
穆公と山間民族
9代君主・穆公は名君であり、彼の時代に秦は躍進を遂げます。山間民族西戎を平定し、秦は西の覇者となりました。
戦国七雄の割拠
◇戦国時代の幕開け
紀元前403年、大国晋が内紛で韓、魏、趙に分かれます。その3国に加え秦、楚、斉、燕の7つの国が、中華の覇権を争って戦う戦国時代となっていきました。秦は行政改革により法治主義となり、国力を増強していきます。
秦国六大将軍
28代目の君主・昭王。彼には白起を筆頭に6人の大将軍が仕え、大陸に名を轟かせました。
咸陽の動乱
◇王弟の反乱
嬴政は13歳にして秦王に即位しました。しかし人質として他国で幼少期を過ごした政に王宮内での後ろ盾は少なく、仮初の王でした。政の出自をよく思わない王弟・成蟜は、左丞相・竭氏と結託し、兄に対して反乱を起こします。◀政を反逆者として追い、即位を狙います。
血みどろの覇権争い
政の母親は右丞相・呂不韋の妾だったのです。純血の王族である成蟜は、自らを差し置いて即位した政に対し激しい憎悪の念を抱くようになります。
◇嬴政、王都脱出
成蟜の反乱を察知し、嬴政は身を守るために王宮を脱出します。影武者・漂の命を賭した攪乱もあって無事に逃げ延びるが、竭氏の刺客から追われることとなります。嬴政は追手をかわしながら、一派の残党と合流します。王都へ戻るための戦力の援助を求めて、かつての秦国の盟、山の民の住まう地へと歩を進めます。◀逃げ延びた嬴政は、黒卑村にて、下僕の少年・信と出会い、行動を共にします。◀王騎将軍の伏兵に遭遇した漂。果敢な突破で自軍を鼓舞し、昌文君の兵たちを守りました。
秦王の協力者
嬴政の後見人・呂不韋は、嬴政の失脚を狙い反乱を静観します。新たに信と河了貂の助力を得るが、兵は疲弊し、戦力差は歴然としていました。◀あまりにも孤立無援な嬴政に、信は驚愕します。
引用元
ウィキペディア、キングダムアニメ公式サイト、キングダム英傑列紀、©はじめての三国志
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